島津斉彬暗殺疑惑と息子達の不審死その真相!西郷隆盛は犯人を知ってた

幕末最高の名君「島津斉彬」公

斉彬公と、その子供達・・・不審死の真相とは?

西郷隆盛は、犯人が誰かを知っていた?


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この記事を短く言うと

・島津斉彬公は暗殺された、という噂がある

・子供達も、次々と亡くなっているが、それも暗殺という説がある

・西郷隆盛は、斉彬の弟「島津久光」と、折り合いが悪かった・・・


島津斉彬の最後!急死した原因は暗殺?

薩摩藩主「島津斉彬

松平春嶽・伊達宗城・山内容堂と並ぶ、「幕末四賢侯」の1人に数えられる名君

西郷隆盛を見出し、その才能を開花させた人物

西郷を弟子として教育したようなものであり、その意味では後の「明治維新」を成し遂げた西郷隆盛の、実質的な師匠。

西郷を育て上げた・・という意味では、松下村塾で偉人を次々育て上げた「吉田松陰」に近いお方かもしれません。

『引用元ウィキペディアより』

父「島津斉興」との関係が悪く、40歳過ぎになるまで藩主になれなかった「島津斉彬」公。

しかし藩主に就任すると、次々と改革を実行!

日本最初の国産蒸気船を開発したり、「薩摩切子」の製造を始めたり、反射炉を造ったり・・・斉彬公の時代になって、薩摩は一気に近代化をしていくのです。

当時、「四賢侯」と呼ばれた名君の1人「松平春嶽」は、斉彬公について

「四賢侯などと呼ばれているが、真の賢侯は斉彬公ただ1人」

と断言していたほど、斉彬公は名君だったのです。

名君・斉彬に、西郷隆盛は心酔していました。

そんな島津斉彬公の最期は、突然でした。

島津斉彬は、徳川斉昭や松平春嶽たちと共に、「次の将軍を英邁と評判の一橋慶喜にしよう(一橋派)」と画策。

しかし、井伊直弼が幕府大老に就任。その権力を使って、次の将軍を「徳川家茂」で決定されてしまいます。

さらに「安政の大獄」という弾圧事件によって、斉彬公が指示していた「一橋派」の「水戸藩主・徳川斉昭」や「福井藩主・松平春嶽」たちが、次々と弾圧処分されていったのです。

斉彬は、この「安政の大獄」に抗議するために「5000」の兵を引き連れて上洛する計画を実行しようとします。

その直前、突然斉彬が亡くなってしまうのです。死因は、「コレラ」と言われています。

しかし、斉彬周辺の家来たちは、「暗殺」を疑いました。

なぜなら、斉彬の子供達が次々と亡くなっていたからです。


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斉彬の息子たちも、全員暗殺された?

斉彬には、六男五女がいました。

しかし、その中で成人したのは三女・四女・五女の3名だけ

男児はことごとく夭折・・・つまり幼くして亡くなっているのです。

この不自然な亡くなり方は、当時から疑いの目を向けられていました。

暗殺されたのでは?呪い殺されたのでは?と・・・・。

現代の常識で考えると、「呪い殺された」というのは現実的ではありません。

2018年の大河ドラマ「西郷どん」では、「ヒ素を使った暗殺未遂説」が描かれていました。

当時の医学では、夭折というのは珍しくありません・・・しかし、それにしても、男児6人が全員夭折するとは・・・。

特に裕福で、栄養豊富な食事に恵まれていたはずの大名家の子息が・・次々と・・・・かなり怪しいですよね。

実は、斉彬やその息子たちが暗殺されたと仮定すると、「最も怪しい人物」が浮上してくるのです。

少なくとも「西郷隆盛」は、「暗殺である」とはっきり確信していたみたいですね。

暗殺の黒幕とは、誰だったのか?


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西郷隆盛だけは、犯人が誰かわかっていた!真犯人は?

島津斉彬の弟子「西郷隆盛」

西郷は、犯人が誰かを確信していました。

西郷は斉彬死後、薩摩藩の実権を握った斉彬の弟「島津久光」に対して、事あるごとに反抗的な態度を見せます。

『引用元ウィキペディアより』

面と向かって「田舎者(ジゴロ)」と言ってみたり、命令違反を起こして島流しになったり。

西郷隆盛は、島津斉彬を暗殺したのは、弟の「久光」だと確信していたのです。

斉彬の実質的な弟子であり、斉彬に強い忠誠心を抱いていた西郷・・・後追い自殺までしようとした西郷隆盛は、斉彬とその子供達を暗殺したのは「島津久光」と疑っていたのです。


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実際、斉彬の死で最も得をしたのは「久光」。斉彬の次の藩主に、久光の息子「忠義」をつかせることに成功。しかも「忠義」は若かったため、久光が実権を握り「国父」と呼ばれるようになるのです。

「久光が斉彬やその子供達を暗殺した」という証拠はありません。むしろ、久光と斉彬の関係は良好。

斉彬の死後、久光は自らの息子「忠義」と「珍彦」を、斉彬の娘たちと結婚させたほどでした。

しかし、西郷だけは久光を疑っていたのです。

実は西郷・・・後に久光を出し抜くような行動に出ます。

久光は、徳川幕府を滅ぼして、自らが将軍となり「島津幕府」を開くつもりでした。

しかし西郷と大久保は、廃藩置県版籍奉還を行い、久光から藩主としての実権を奪います。これにより久光の野望は幻となったのです。

怒った久光は、花火を一日中乱発したり、「廃刀令」が出ても刀を手放さなかったりと、反抗的な態度を続けて亡くなります。

久光が「斉彬」と「子供達」を暗殺したかどうかは不明ですが、西郷は久光をよく思っていなかったことだけは確かです。

一説には、久光の母「お由羅」が暗殺したという噂もありますが、それについても証拠はなく、はっきりとはしていないのが現状です。


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まとめ

本日の記事をまとめますと

・島津斉彬公には、暗殺されたという説があるが、はっきりとはしていない

・斉彬公の息子たちも、なぜか次々と亡くなっている。暗殺説が噂されているが、証拠はない

・西郷隆盛は、「島津久光」を暗殺の首謀者と考えていたらしい。確かに斉彬公や息子たちが亡くなって、最も得をしているのは弟「島津久光」だが・・・。

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました


島津斉彬」について、よろしければ以下のリンク記事も、お役立てくださいませ。

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