【三好長慶】と三好政長の関係とは?【天下取りの太刀】と真田十勇士

この記事では「三好長慶と三好政長の関係」について、わかりやすく、短く、カンタンに解説しております。

 

これを読めば「三好長慶と三好政長が、どういう関係なのか」を、カンタンに理解できます。

 

「三好政長」とは、天下人「三好長慶」の「親戚」であり、「真田十勇士」の父親なのです。

 

さらに「三好政長」は、「天下取りの太刀」と呼ばれて「信長・秀吉・家康」が愛用した「伝説の名刀」を所持していた武将でもあります。


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この記事を短く言うと

 

1,「三好長慶」と「三好政長」とは、何者?

「三好長慶」とは、「織田信長」の前に天下人として君臨した人物。「三好政長」は「三好長慶」の同族であり、宿敵でもあった。

 

2,「三好政長」の最期とは?

三好政長は、一族の「三好長慶」に攻められて、【1549年】に亡くなった。「薬研藤四郎」で切腹しようとして失敗した逸話は有名

 

3,「三好政長」の愛刀で、天下取りの太刀と呼ばれた名刀「宗三左文字」とは?

「三好政長」こと「三好宗三」は、のちに「天下取りの太刀」と呼ばれることとなる名刀「宗三左文字」を所持していた

「三好長慶」と「三好政長」とは何者なのかを解説!

「三好長慶」とは、「織田信長」が天下を支配する前に、事実上の「天下人」だった権力者です。

 

《三好長慶》
「引用元ウィキペディアより」

そして「三好政長」とは、その「三好長慶」の同族でありながら、宿敵でもあった人物です。

 

「三好政長」は、別名「三好宗三(みよし そうざ)」と呼ばれています。

 

「三好長慶」の祖父「三好長秀」と、「三好宗三」こと「三好政長」が、「いとこ同士」なのです。

 

つまり「三好宗三(政長)」から見れば「三好長慶」は、「いとこの孫」にあたるということ。

 

三好長慶の「祖父の祖父」である【三好長之】は、「三好宗三」にとっては「祖父」にあたります。

 

「三好長慶」については、その全てを、以下のリンク記事で、くわしく解説しております。

三好長慶のすべてを徹底解説!子孫・家系図や因縁の名刀など完全網羅』の記事はコチラ

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「三好政長」の最期とは?「腹に刺さらなかった名刀」の逸話

三好政長は、「三好長慶」とのあいだで勃発した「江口の戦い」で亡くなっています。

 

1549年】、それまで「交戦」と「講和」を繰り返していた「三好長慶」と「三好政長」でしたが、ついに関係が破綻。

 

「江口の戦い」で敵に包囲された「三好政長」は、「江口城」で自害します。

 

「薬研藤四郎(やげんとうしろう)」

 

三好政長の最期には、面白い逸話・エピソードが残されています。

 

「三好長慶」に追いつめられた三好政長は、切腹しようとして、愛刀の「藤四郎(とうしろう)」を腹に刺します。

 

ところが、なぜか「藤四郎」がお腹に刺さらないのです。

 

何度やっても刺さらないことに激怒した三好政長は、「藤四郎」を投げ捨てます。

 

すると「藤四郎」は、薬をすりつぶすために使う鉄製の道具「薬研(やげん)」に突き刺さったのです。

 

腹には刺さらないが、鉄製の「薬研」には刺さった、というわけです。

 

これにより、この「藤四郎」作の短刀は、「薬研藤四郎(やげんとうしろう)」と呼ばれるようになったのです。

 

それだけではなく、「薬研藤四郎」は「主君を傷つけず、主君を守るありがたい刀」と呼ばれて、武士たちに憧れを抱かれる名刀となります。

 

現在「薬研藤四郎」は行方不明です。

 

なんとあの「織田信長」が、「薬研藤四郎」を「本能寺の変」の際に所持していたと言われているのです。

 

「薬研藤四郎」と「織田信長」については、以下のリンク記事で、さらにくわしく解説しております。

『【本能寺の変】織田信長愛刀!本能寺で焼けた自害に使った刀とは?』の記事はコチラ

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「天下取りの太刀」と呼ばれた名刀「宗三左文字」の伝説

「三好政長(宗左)」といえば、「天下取りの太刀」と呼ばれた名刀「宗三左文字」を所持していたことで有名です。

 

「宗三左文字」とは、「それを所持するものが、次々と天下人となった(または天下への野心をもっていた)」ことから、「天下取りの太刀」と呼ばれた伝説の名刀です。

 

三好政長は、この刀を「武田信玄」の父「武田信虎」へと送ります。

 

そして「宗三左文字」は、「今川義元」・「織田信長」・「豊臣秀吉」・「徳川家康」へと渡り、代々徳川将軍家が保有していました。

 

「天下取りの太刀」こと「宗三左文字」は、別名「義元左文字」または「三好左文字」と呼ばれています。

 

「宗三左文字」については、以下のリンク記事で、現在どこにあるのかも含めて、くわしく解説しております。

『今川義元の愛刀「義元左文字」と愛用の「鉄兜」は今どこにあるのか?』の記事はコチラ

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「三好政長」と、伝説の「真田十勇士」の意外な関係とは?

三好政長は、「真田十勇士」と呼ばれた「10名の忍者」のうち、「2名」の父親だったという噂があります。

 

「真田十勇士」は、そもそも後世の創作ですので、実在はしていません。

 

しかし、「真田十勇士」の武将「三好清海入道」と「三好伊佐入道」の兄弟は、「三好政長」の息子達をモデルにしていると考えられています。

 

「三好政康」と「三好政勝」兄弟

 

三好政長の息子「三好政康」は、「三好長逸」や「岩成友通」と並んで、「三好三人衆」と呼ばれていました。

 

「三好三人衆」は、将軍「足利義輝」を暗殺し、実権を握った武将たち。

 

その後、「織田信長」に敗北して、没落。

 

全員が無残な最期を遂げています。

 

しかし「三好政康」は、【1615年】、88歳で「大坂の陣」に参戦したという噂があるのです。

 

このことから「三好政康」は、真田十勇士の一人「三好清海入道」に。

 

その弟「三好政勝」は、「三好清海入道」の弟「三好伊佐入道」のモデルになったと考えられています。

 

もちろん、「真田十勇士」は後世に出版された小説で描かれた創作上の存在ですので、実在していません。

 

「真田幸村」については、以下のリンク記事をどうぞ。

『真田幸村の生涯年表をわかりやすく解説!九度山の幽閉生活は悲惨だった』の記事はコチラ

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まとめ

本日の記事をまとめますと

1,「三好長慶」とは、織田信長」の前に天下人として君臨した人物。「三好政長」は「三好長慶」の同族であり、宿敵

 

2,三好政長は、「三好長慶」に攻められ、【1549年】に亡くなった。「薬研藤四郎」で切腹しようとして失敗した逸話は有名

 

3,「三好政長」こと「三好宗三」は、「天下取りの太刀」と呼ばれる名刀「宗三左文字」を所持していた

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして、誠にありがとうございました。

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ありがとうございました。


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