【服部半蔵】明智光秀との関係とは?二人が同一人物という説は本当か

この記事では「服部半蔵と明智光秀の関係」について、わかりやすく、短く、カンタンに解説しております。
これを読めば「服部半蔵と明智光秀の関係」を、カンタンに理解できます。
「同一人物説」もある「服部半蔵」と「明智光秀」ですが、結論を言ってしまうと、「同一人物説」はガセです。
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この記事を短く言うと
1,服部半蔵と明智光秀には、「同一人物説」があるが、そんなはずはない。「同一人物説」はガセ
2,「服部半蔵」と「明智光秀」には、接点がない
3,服部半蔵という名前で有名な「服部正成(はっとり まさなり)」は、そもそも忍者ではなかった
目次
服部半蔵と明智光秀の「同一人物説」を解説
服部半蔵と明智光秀には、「同一人物」という噂があるが、本当なのでしょうか?
結論から言ってしまうと、この説はガセです。
ありえません。

《服部半蔵正成》
「引用元ウィキペディアより」
【1582年6月2日】、明智光秀は「本能寺の変」を起こして「織田信長」を討ち取りました。

本徳寺所蔵の明智光秀肖像:Wikipediaよりパブリックドメイン
その直後、「服部半蔵」こと「服部正成」は、主君の「徳川家康」を連れて「伊賀越え」と呼ばれることになる逃亡劇を演じます。
そして「伊賀越え」で徳川家康が「三河国・岡崎城」へ逃亡した数日後、「明智光秀」は「山崎の戦い」で敗死。
つまり、「服部半蔵正成」と「明智光秀」は、同時期に別々の場所にいたということです。
「本能寺の変」の直後
- 「明智光秀」は「京都・本能寺」の周辺
- 「服部半蔵」は「三河国・岡崎城」の周辺
このことから、「半蔵・光秀・同一人物説」は、成立しません。
「服部半蔵」にも、「明智光秀」にも、都市伝説のような「同一人物説」が存在しております。
「服部半蔵」は、俳人「松尾芭蕉」と同一人物という説があります。
「明智光秀」には、「徳川家康」の参謀「南光坊天海」と同一人物という説があります。
どちらも真相は不明であるものの、信ぴょう性に乏しい説であると思います。
服部半蔵と光秀は、どういう関係なの?
半蔵と光秀が同一人物ではないとして、二人はどういう関係なのでしょうか?
実はこの二人に直接的な関係は有りません。
二人が接触したという、史実での記録は全くないのです。
この二人が同じ戦争に参戦した記録もありません。
半蔵が参戦して活躍した戦いの中には、「姉川の戦い」など、有名な戦いが数多くあるものの、その戦いに「明智光秀」が参戦することはありませんでした。
二人はもしかすると、実際のところ面識がなかったかもしれません。
服部半蔵の歴史と真実!服部半蔵は忍者ではなかった!
「服部半蔵」は、忍者ではなく、槍をふるって戦う武士でした。
「服部半蔵」とは、実は「服部家」の当主となった人物が代々引き継ぐ名前のこと。
つまり「服部半蔵」は、一人ではなく、たくさんいるのです。
徳川家康に仕えて、「半蔵門」という名前の由来となった人物は「服部半蔵正成」。
「服部半蔵正成」は、実は忍者ではなく、槍をもって敵に突撃する戦士でした。
「忍者」として活躍したのは、この「服部半蔵正成」の父親である「服部保長」というお方です。
しかも「服部保長」は、「徳川家康」の祖父である「松平清康」という人物に仕えていた忍者です。
この「服部保長」が「徳川家康」に仕えていたかどうか、定かではありません。
「服部半蔵」こと「服部正成」は、【1557年】の「宇土城攻略戦」が初陣であり、【1592年】の「朝鮮出兵」で、「肥前・名護屋城」への出陣を最後に亡くなっています。
「麒麟がくる」で活躍している忍者「岡村隆史」さんは、今後どうなる?
【2020年】の大河ドラマ「麒麟がくる」で、お笑い芸人「岡村隆史」さんが、「徳川家康」を守る忍者役で登場しておられます。
この岡村隆史さんが演じる忍者「菊丸」、今後どうなるのでしょうか?
「菊丸・岡村隆史」さんは「本能寺の変」や「山崎の戦い」など、「光秀」が亡くなる直前まで、光秀を助ける存在とし活躍するでしょう。
噂では、菊丸は服部半蔵ということになっているのですが・・・。
史実と照らし合わせて考えると、岡村隆史さんこと「菊丸」が「服部半蔵」であるはずがありません。
【1549年】、徳川家康こと竹千代が尾張国にいた当時、菊丸は竹千代のことを、竹千代の母「於大の方」や伯父「水野信元」へ報告しています。
しかし史実では、このとき服部半蔵こと正成は、数え年で8歳。
服部半蔵正成は、徳川家康の一歳年上でしかないので、史実と照らし合わせて考えると、「菊丸」が「服部半蔵正成」であるはずがないのです。
では「服部半蔵正成」の父「服部保長」が、「菊丸」なのでしょうか?
その可能性も低いでしょう。
なぜなら、先ほど解説したとおり、「服部保長」は家康の祖父「松平清康」に仕えたお方だからです。
とはいえ、「ドラマ」にあまりにも「史実」をはめ込みすぎるのもナンセンスです。
「菊丸・岡村隆史」さんが、たとえ「服部半蔵」であったとしても、ドラマなのでそれほど無茶なことではないと思います。
おそらく「菊丸・岡村隆史」さんは、今後「徳川家康」の家来として、「明智光秀」と密接に連絡を取り合う関係になるのでしょう。
徳川家康と明智光秀は、史実では、かなり密接に協力し合う関係です。
例えば「金ヶ崎の退き口」で、「徳川家康」と「明智光秀」は、「羽柴秀吉」も加えてともに戦っています。
「菊丸・岡村隆史」さんは、この後「明智光秀」を影から助ける存在となるのではないでしょうか。
おそらくですが、「菊丸・岡村隆史」さんは「本能寺の変」や「山崎の戦い」など、「明智光秀」が亡くなる直前まで、光秀を助ける存在として登場し続けると思います。
まとめ
本日の記事をまとめますと
以上となります。
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