【本能寺の変】最新説【四国説】を考察!目的は長宗我部救済だった?

この記事では「本能寺の変」の動機【四国説】について、わかりやすく、短く、カンタンに解説しております。

 

これを読めば「四国説」を、カンタンに理解できます。

 

「四国説」とは

「明智光秀は、織田信長による四国征伐軍から、四国の大名『長宗我部元親』を救うために、『本能寺の変』を起こして信長を討った」

という説です。


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この記事を短く言うと

 

1,「四国説」とは正確には「四国征伐回避説」。「本能寺の変」で織田信長が亡くなる翌日【天正10年(1582年)6月3日】は、四国の「長宗我部元親」を討伐するための「四国征伐軍」の出撃予定日だった。明智光秀は、その「四国征伐軍」を阻止するため、「本能寺の変を起こした」というのが、「四国説」

 

2,「四国説」は有力だが、それに合わせて「羽柴秀吉との派閥争いに敗けた」ことも、「本能寺の変」を起こした理由の一つなのではないか?

 

3,織田信長は、古くからの重臣「佐久間信盛」と「林通勝」を追放処分としており、明智光秀も信長に追放されることを恐れて「本能寺の変」を起こしたのではないか

本能寺の変【四国説】とは何か?

「四国説」とは、「四国の大名・長宗我部元親を救うために、明智光秀は織田信長を討ち果たした」という説のことです。

 

「四国説」、正確には「四国征伐回避説」という名前で、近年もっとも有力視されている説です。

 

2014年】に発見された「石谷家文書(いしがいけもんじょ)」という資料により、この「四国説」は急浮上しました。

 

この説によると、「本能寺の変」の動機は、以下のとおりです。

「明智光秀は、四国の長宗我部元親を救うために、『本能寺の変』を起こして織田信長を討った」

 

天正10年(1582年)6月2日】、「本能寺の変」が起こり、「織田信長」は亡くなりました。

《織田信長》
「引用元ウィキペディアより」

 

実はこの翌日の【6月3日】、信長の三男「織田信孝」と「丹羽長秀」がひきいる3万の軍団が、長宗我部を征伐するために四国へ出陣する予定でした。

 

明智光秀は、この「四国征伐軍」の出撃を阻止するために、「本能寺の変」を起こしたというのです。

 

《明智光秀》
「引用元ウィキペディアより」

石谷家文書には、明智光秀の重臣「斎藤利三」と「長宗我部元親」が交渉する内容が記されていました。

 

実は「斎藤利三」の異母妹が、「長宗我部元親」の妻なのです。

 

そこには、こんなことが書かれていました。

「長宗我部は、織田家に対して、阿波国(徳島県)にある城を明け渡す。

しかし、土佐国(高知県)の入り口に位置している『海部城』と『大西城』は、なんとか長宗我部の物として認めてほしい。」

もともと長宗我部元親は、織田信長の同盟者として、信長から「攻め落とした土地は、自分のものとして良い」という許可(朱印状)をもらっていました。

 

ところが信長は、そんな長宗我部元親に対して突然「奪い取った土地を返還せよ」と命令したのです。

 

こんなこと、長宗我部元親からすれば、納得できるはずがありません。

 

この難しい交渉を担当したのが「明智光秀」です。

 

光秀は難しい交渉を成功させ、「長宗我部元親」に「奪った領地を返す」と約束させます。

 

ところが信長は突然、長宗我部元親を滅ぼすために「四国征伐軍」の出撃を命令したのでした。

 

これにより「明智光秀」の面目は丸つぶれになりました。

「明智光秀は、長いあいだ協力してくれた長宗我部元親を救うことができなかった薄情な奴だ」

「明智光秀は、信用できない」

そのような陰口を叩かれたことが、容易に想像できます。


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目的は「長宗我部元親の救済だった」のか?

「光秀」が「本能寺の変」を起こした理由は、「長宗我部救済」だけが目的ではなく、「派閥争いに敗れたことにより、追放処分となることを恐れたため」ではないかと思います。

 

「四国征伐軍」を止めるために、「本能寺の変」を起こしたという「四国説」ですが、その目的は「四国征伐軍」を止めるためだけだったのでしょうか?

 

この「四国説」は、他の動機と複合されることがあります。

 

「四国征伐」を止めるためだけではなく、たとえば「黒幕がいた」とか。

 

または「光秀の信長に対する恨みによる犯行でもあった」など。

 

「羽柴秀吉との派閥争いに敗れた」という説も、「四国説」と合わせて唱えられています。

 

おそらくですが、「光秀」が「本能寺の変」を起こしたのは、「長宗我部救済」だけが目的ではなかったと考えられます。

 

筆者個人の考えとしては、「羽柴秀吉との派閥争いに敗けたため」という動機と、「四国説」を合わせた「四国・派閥争い説」が、もっとも有力だと思っています。


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光秀と秀吉の派閥争いと「佐久間・林の追放」

光秀は、かつての織田家重臣「佐久間・林」のように、織田家から追放されることを恐れて「本能寺の変」を起こしたのかもしれません

 

明智光秀は織田家の出世頭でした。

 

そんな光秀の最大のライバルが「羽柴秀吉」です。

 

明智光秀は「長宗我部」と長年友好関係にありました。

 

対して「秀吉」は、「長宗我部」のライバルであった「三好氏」と友好関係にあったのです。

 

四国では「長宗我部」と「三好」が戦争を繰り返していました。

 

織田信長は、それまで「長宗我部」と協力関係に有りました。

 

しかし信長は、いきなり方針転換をし、三好と協力して長宗我部と戦うため、「四国征伐軍」に出撃命令を下したのです。

 

これは「羽柴秀吉」と『明智光秀』の派閥争いが、光秀の敗北に終わったことを意味していました。

 

しかも信長は、光秀に対して「中国地方で戦う羽柴秀吉の援軍にいけ」と命令します。

 

これはつまり「羽柴秀吉の下について、その命令に従え」という意味です。

 

信長は仕えない人間は即座に捨てる傾向にありました。

 

長年織田家に仕えてきた重臣「佐久間信盛」と「林通勝」の二人を、信長はあっさりと追放処分にしています。

 

光秀は、秀吉に派閥争いで敗れたことにより、この「佐久間・林」の二人のように、織田家から追放されることを恐れたのかもしれません。

 

追放されれば、明智家の家来たちとその家族は、全員が職を失ってしまいます。

 

光秀は「羽柴秀吉との派閥争いに敗北し、織田信長から追放処分にされることを恐れて、本能寺の変を起こした」のではないでしょうか。


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犯罪心理学による新しい説!「暗闇」を行軍し、憎しみに飲まれた「明智光秀」

「暗闇の中に長時間いること」で、これまでの怒りが増幅し、爆発。光秀は、突発的に「本能寺の変」を起こしてしまった、という説があります。

 

「犯罪心理学」において

「暗闇に長い間いると、かつて経験した憎しみの経験が思い出され、怒りが増幅していく」

のだそうです。

 

近年の研究で

「明智光秀は暗闇を行軍し、憎しみにかられて突発的に本能寺の変を起こした」

という説があります。

 

光秀は「本能寺の変」が起こる前日、現在の京都府亀岡市にある「丹波亀山城」を出撃。

 

本来は「中国地方」へと向かうはずが、京都へ向かって信長を討っています。

 

丹波亀山城を出撃したとき、まだ暗い夜でした。

 

光秀はこの暗闇の中を何時間も進み続け、信長に受けた仕打ちを思い出したのかもしれません。

  • 「長年の盟友である長宗我部の征伐を信長が決めたことで、光秀のメンツは丸つぶれになったこと」
  • 「ライバル羽柴秀吉の下につけられたこと」
  • 「長い間丹精込めて治めてきた領地・坂本と丹波国を取り上げられてしまったこと」

などなど。

 

これらの怒りが「暗闇の中を歩くこと」で増幅し爆発。

 

突発的に「本能寺の変」を起こしてしまった・・・というのです。

 

確かに、緻密なはずの光秀ですが「本能寺の変」のあとの準備がおろそかになっており、あまりにも雑です。

 

ということは、無計画に信長を討ったのでしょう。

 

「黒幕説」などは「用意周到な計画」があったことを前提にした説ですが、この「黒幕説」によれば、あくまでも「突発的で衝動的な犯行」ということになります。

 

「四国説」とあわせて考えると、こうなります。

「信長が四国征伐軍の出撃を命じたことに怒りを覚えた光秀は、丹波亀山城から出撃して、暗闇を行軍。

 

これにより怒りを増幅させた光秀は、ついに暴発して、織田信長を突発的におそってしまった」

「四国説」と「暗闇説」の複合説。けっこう可能性が高いのではないでしょうか。


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まとめ

本日の記事をまとめますと

1,「本能寺の変」の翌日【天正10年(1582年)6月3日】は、「四国征伐軍」の出撃予定日だった。明智光秀は、その「四国征伐軍」を阻止するため、「本能寺の変」を起こした。それが「四国説」

 

2,「四国説」は有力だが、「秀吉との派閥争いに敗けた」ことも、動機の一つなのではないか?

 

3,信長は、重臣「佐久間信盛」と「林通勝」を追放処分とした。光秀も信長に追放されることを恐れて「本能寺の変」を起こしたのではないか

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして、誠にありがとうございました。

よろしければ、またぜひ当サイトへお越しくださいませ。

ありがとうございました。


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