【阿部正弘】日米和親条約の締結で幕府を潰した張本人!なぜ開国したの?

幕府の最高位「老中」の首座「阿部正弘」が、なぜ開国したのかを解説いたします。

40代で就任することが多い、幕府最高の職「老中」に、25歳で就任した「阿部正弘」。

「阿部正弘」はなぜ、ペリーと「日米和親条約」を締結したのか?

阿部正弘が失敗したおかげで、幕府は滅亡してしまった!


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この記事を短く言うと

・阿部正弘が「日米和親条約」を締結した理由は、「諸外国との戦争を回避する」ためだった

・阿部正弘が、大名や朝廷に意見を求めたおかげで、幕府のチカラは弱まってしまった

・幕府崩壊は早めたが、近代化を早めた点からすれば、阿部正弘は優秀だったのではないか


阿部正弘はなぜ、日米和親条約を結び開国した?

日本は、江戸時代200年以上に渡って「鎖国政策」を取っており、諸外国との交流はありませんでした。

清国とオランダに限っては、「長崎・出島」で交易をしていましたが・・・それでも「イギリス」「フランス」「ロシア」などの大国とは国交を結んでいなかったのです。

そんな200年以上の「鎖国政策」を終わらせたのが、「日米和親条約」締結

日米和親条約は、アメリカに対して「下田と箱館の開港」「アメリカ常駐代表を下田に置く」という2つを約束したもの。直後に同じ内容の条約が「イギリス・ロシア・オランダ」とも締結されました。

この「日米和親条約」を発端に、江戸幕府は崩壊へと向かっていくわけですが・・・この日米和親条約を締結したのが、当時の老中首座「阿部正弘

なぜ「阿部正弘」は「日米和親条約」を締結したのか?

その理由は「アメリカの圧力におされ、アメリカに戦争を仕掛けられたら敗北するしかないから、相手の要求を丸呑みした」ということ。

当時のアメリカは、イギリス・ロシア・フランスなどに比べたら、まだまだ弱い新興国でしたが、それでも日本はアメリカに勝てない、さらなる小国でした。

そんなアメリカと条約を締結することで、「戦争を回避した」というのが、阿部正弘が「日米和親条約」を締結した理由です。


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阿部正弘が犯した失敗とは?

この「日米和親条約」締結に際して、阿部正弘は江戸幕府の家来として、致命的な失敗をしています。それは、それまで行われなかった「朝廷」や「外様大名」に意見を求めるという行為。

アメリカからペリーが黒船を率いて来航した際、阿部正弘はそれまで国の政治に参画することが出来なかった「外様大名」や「朝廷」にも意見を求めています。

それまで200年以上の間、幕府は1600年の「関ヶ原の戦い」以前から徳川家の家来だった「井伊」「本多」「松平」「水野」などの「譜代大名」のみで、国の政治を行っていました。

「譜代大名」以外、「関ヶ原の戦い」以後に徳川家の家来になった「薩摩・島津」「仙台・伊達」「土佐・山内」のような「外様大名」は国政に参画・意見することは許されなかったのです。

しかし、阿部正弘は朝廷・外様大名に発言を許しました。

それによって朝廷・外様大名の発言力は増し、対して幕府の影響力・・・つまり国家統治能力は弱くなっていったのです。

阿部正弘が外様大名に意見を求めたことがきっかけで、幕府の権威が弱まり、有力藩や朝廷の権威が強大化。

そのことはそのまま、「江戸城無血開城」、つまり江戸幕府崩壊につながっていきます。

阿部正弘・・・・日米和親条約の際に、挙国一致を目指して広く意見を求めたのでしょうけれど、結果として幕府崩壊を加速させてしまったのでした。


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優秀だったのか?それとも愚者だったのか?

阿部正弘は優秀だったのか?

確かに阿部正弘が日米和親条約を結んだおかげで、諸外国との戦争は回避されましたが、そのかわり幕府は崩壊しました。

優秀かどうかは見方にもよりますが、「幕府の家来」としては、幕府の崩壊を加速させたという点から、決して優秀だったとは思えません。

しかし日米和親条約を締結して、戦争を回避。広く意見を求めることで、日本国を1つにまとめあげて諸外国へ対抗することを目指した点など・・・・これらは評価ができるのではないでしょうか。

外様大名の意見を広く求めたことで「薩摩・島津斉彬」「宇和島・伊達宗城」「土佐・山内容堂」のような名君の活躍の場を確保、その家来だった「西郷隆盛」「大久保利通」「坂本龍馬」のような有能な家来たちも活躍出来たわけです。

幕府の崩壊を早めたものの、日本の近代化を促したという点からして、改革者としては有能だったのではないでしょうか。


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まとめ

本日の記事をまとめますと

・「日米和親条約」を結んだ理由は、「圧力に屈し、戦争を回避するため」だった

・阿部正弘は、それまで禁じられていた「外様大名」や「朝廷」に発言を許し、幕府の影響力を弱めてしまった

・おかげで幕府は崩壊したが、日本の近代化は促したので、改革者としては能力が高かったのではないか

以上となります。

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